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デスノート 第1話その2 未熟なデスノート

第1話でぐっときたのが、すでにLの活躍で身辺を探られていることを察知した月が、「戦うしかないんだろう」と不敵な匂いを眼に忍ばせて目線をあげる表情を見せたシーンでした。なにせ原作漫画もあの有名な映画も知りませんので、勝手に空想は飛んでいき、このシーンで、ふと思い浮かんでしまったのは、ガンダム初回のアムロ・レイの姿でございました(例えが古くてすみません)。

原作ファンの方からすれば、ほら、もうめちゃくちゃだ・・となるのかもしれませんが、ごく普通の人間が、強力な武器を手に入れると同時に、生き延びるために戦うことを半ば強制的に選ばされ、逃げることをきわめていくことで、良い面でも悪い面でも成長を遂げて行く、昔から本当によくあるお話-悪漢の、おそらくバッドエンドな物語というところがちょいと違いますがー、が始まるのだと感じました。

そういう意味で、第1話では月の短慮さ、未熟さを描くのにドラマは躊躇はありませんでした。最初の2つの殺人に対してはあんなに苦しんでいたのに、そこからは「世の中のため」と言って、どのくらい殺人の自覚があるのかわからないままデスノートに大量に名前を書き連ねる姿に移ったのは、そこに大した意味がないことを示すものでしょう。Lにその極悪さを指摘されると切羽詰まりながらもキレてしまう姿からも、このドラマではキラの犯行が非常に未熟な、短慮なものであることを言外に伝えてように思えます。

一方の雄、Lにしても、事件解決能力は優れているが、その他の面ではかなり足りない、未熟な人物像に描かれているように思いました。この二人の未熟な若者に対して、「犯罪者だからと言って殺してはいけない」と自ら人質になる月の父の人物像がクローズアップされていたり、L側でもワタリが「ちょっと困っちゃうけどね」と言いたげながら、その代理人や執事を務める様子がかなり大きな比重で描かれております。これは、大人たちが主人公たちの「未熟さ」や、そこから仕掛けられる戦いとは違う姿勢を示すものとして機能することを方向付けているのかと思いましたね。

原作や映画で描かれたという天才同士の華々しい頭脳戦が、こういうよくある成長譚に落とし込まれるのをつまらなく思う原作ファンの方々も多いかもしれません。じゃ、「なぜそれをデスノートで描くの?」という疑問もわくかもしれません。その理由の一つとして、やはり昨今の排除の思想というものへのアプローチがあると思います。デスノートはないけれどそれに近いモノや存在は往々にある世の中となっております。うした時勢や世情に対して「じゃ、お前はどうすんだ。お前自身はどう戦うんだ。天才にアタマを預けてないで自分ごととして考えろ」ということを伝えたいんじゃないかな、だからこその窪田正孝なんだろうな、つらつら思っている第1話でした。

さてさて、次には窪田くんのお芝居についてじっくりと書きます~。
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