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唐版滝の白糸 1本目の思いつくまま:大空さん&窪田くん編

1本目の感想を書きとめておかないとw。2回目見たら全然感想変わるかもしれない・・

・世間からはじかれた者たちがお互いに守り合い、刺激し合い、新しい覚醒を生む。お甲は小人たちに、アリダはお甲に、世間から正統にお金をいただける「芸」によって生きよと、その力を持っていることに覚醒せよと刺激を受ける。自分の中にあった少女然としたまっすぐさ、自分の中にあった青年の肉体と運動をなす力が生みだす「自分の生」。

・お甲の本性が明らかになり白糸太夫として芸を披露しようとする時のアリダの生き生きした表情。アリダが生まれて初めて夢中になったのは「芸」であり、彼の本当の喜びと感情はここからはじまっているのではないかと思う。そして、世間からは正統でないとされる芸によって生きようとしたお甲を襲う世間の圧力。それをモものともしない、空を飛ぶお甲のヒーローならではのまっすぐなまなざし。そして、世間の生贄となったお甲の血、芸の神髄に高められた血が、アリダに降り注ぐ。

・自分にはお甲にもアリダにも、自我やら、性やら、羊水やら、恋やら、といったドロドロとしたものはほとんど感じなかったのだ。羊水屋の扱いのひどさはどうだ。性に翻弄されるのは銀メガネだけ。お甲の娼婦性といったものはフリでしかないし、銀メガネの接触に微塵の気持ちの揺れも見せなかったアリダがお甲に寄せる思いは性愛のそれではない。アリダがひきずっていた母への愛離れた愛の姿は、けなげに生きる者への愛と「芸」への愛に転生しちゃったし。銀メガネたちがみた障子にぼんやりと浮かんだ男女の抱き合う姿は、性にとりつかれた爺の妄想だったと、あのシーンのぞんざいさを想うとそう考えてしまうのだ。

・そんな「まっすぐ生きる」人々を描いた今回の滝の白糸は非常にわかりやすいメッセージに満ち、まだ目覚めていない新しい力に働きかけようとするお芝居で、そんな意味でイデオロギッシュなお芝居だった。芝居通だけが見るものでもない、役者ファンだけが見るものでもない、開かれたポップな手触りでありました。
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